おはようございます。疲労→免疫能低下?→日和見感染といった感じがする昨今だが、命あっての物種(故事ことわざ辞典を参照)と言う様に。故事ことわざ辞典によれば、「命より名を惜しむ」ともある。どちらも正しい(価値基準による)わけで、前者は命を懸ける(一所懸命:語源由来語辞典)価値が無い場合に使用し、後者は命を捨てる価値がある場合に使用する。もちろん価値があること、または価値の無いことは人様々であろう(文化相対主義をとるならば)。ただし狭い地域や組織内では、逆でなければ統一がとれない。それが組織の持つ特性の一つで、個人との対立を生む。両者の折り合いを付けるのが一つは法律で、その不完全さを補完するのが倫理ということになるのだが。その倫理観の共有こそがまさに、文化相対主義とは相容れないと思われる。日本だけでなく、キリスト教やイスラム教社会でもマイノリティーは常に存在する。歴史をひも解くまでもなく、マイノリティーに対しては法治国家であっても法を犯して排除する。まさに「建前と本音」という構造が見える(私的英語翻訳では、Human and Savagesとなる)。HumanityとSavagenessの間を橋渡しして(埋めて)いるのは何なんだろう(一人の人間の中で)?もちろん、Humanityが優位な人とSavagenessが優位なヒトと、どちらが優しい人で、優雅なのかは議論の余地は無い(反文化相対主義)。