2014年06月24日

2014年6月24日(火)

おはようございます。
 先の休日のある新聞に、小池昌代さんの「ブエノスアイレス」という記事が載った。五月にそこで、国際図書展(これかな?第39回ブエノスアイレス国際図書展)と詩のフェスティバルが共催されたらしい。小池さんが(「かもしか」を)朗読会をやったらしい。その結果、「詩」は本のなかから声に乗って、打ち水のごとく街へ散らばった、詩人の紡ぐ言葉はいいね。観客の「手応」は、客席の空気がふっと濃くなり、それが固まりとなってくる感触だそうだ。ひょっとすると、詩も音楽と同様に意味を越えて、読み手という人間を介すると、直接命に感応する?のだろうか。「この詩、とてもいい、とても好きだわ」といって抱きしめてくれた名前も知らない女性、わたしがブエノスアイレスへ行ったのは、もしかしたら彼女に出会うためではなかったか? この女性詩人の感性、私は「とても好きだ」、「ぬるいマテ茶」を出されるような自民党の馬鹿男S議員、この熱き血潮を感じられるように成長されんことを祈る。
 同紙に俳人(知音俳句会)の西村和子さんの連載「季語で読む徒然草」があるが、久米仙人とて地に落ちる「その魅力」、落ちて結ばれて妻と幸せになった(今昔物語)?色香(視覚と嗅覚)に迷う、迷って幸せになった。女性を馬鹿にしては、いけない。誰から生まれたと思っているのか、現象の奥にある真理まで観ろとは言わないので、せめて現象ぐらいは(社会学的幻想に惑わされずに)事実として認識したらどうだろう!


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ここ終わり
Posted by 60papa8060papa80 at 2014年06月26日 22:17
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